米澤穂信『満願』あらすじとネタバレ感想

米澤穂信さんの「満願」のあらすじと感想をまとめました。

シリーズものではない、完全に独立した短編が6つ収録されています。どれも甲乙つけがたい、読み応えのある短編集でした。

好みでいえば、気が付けば外堀が埋まっていた「万灯」と、ホラーテイストな「関守」が好きです。どちらもぞっとします。

「満願」書籍概要

「もういいんです」人を殺めた女は控訴を取り下げ、静かに刑に服したが…。鮮やかな幕切れに真の動機が浮上する表題作をはじめ、恋人との復縁を望む主人公が訪れる「死人宿」、美しき中学生姉妹による官能と戦慄の「柘榴」、ビジネスマンが最悪の状況に直面する息詰まる傑作「万灯」他、全六篇を収録。史上初めての三冠を達成したミステリー短篇集の金字塔。山本周五郎賞受賞。「BOOK」データベースより

  • 満願(2014年3月/新潮社)
  • 満願(2017年7月/新潮文庫)
満願 新潮文庫 / 米澤穂信 ヨネザワホノブ 【文庫】

夜警

柳岡の勤務する交番に警察学校を出たばかりの川藤が配属され、柳岡の2つ後輩の梶井とともに組んで仕事に当たることになった。柳岡と梶井の川藤に対する評価は「厳しい」だった。あるスナックでの客の口論に駆け付け警察だと名乗ると、暴れていた客らはたちまち大人しくなった。一通りの説教をして終わる、対応の難しい事件ではなかった。だが梶井はその時、川藤が腰の拳銃に手をやるのを見た。あの程度の騒ぎで拳銃に手が伸びるのは、警察官としてやっていくのは厳しい。また自分のミスを誤魔化そうとする。血気盛んで叱られるのが怖い臆病者だと柳岡は思った。

交番に、浮気を疑われ夫に殺されるかもしれないとしょっちゅう訴えにくる美代子という女性が来た。とうとう夫が刃物を買ったのを知り身の危険を感じていると言う。刃物を買っただけではどうこうできない。いつも通り何かあれば通報をと促し帰宅させた。

川藤を留守番に、柳岡と梶井は警らに出た。戻ってくると、交番近くの工事現場で人が倒れたと報告される。交通整理の誘導員の頭に何かが当たったらしくいきなり倒れたのだという。車が小石を跳ねたのだろうと結論づけたが、その車を見つけ出すのは無理だと川藤はぶつぶつ呟いていた。その日の深夜、美代子から通報があった。夫が刃物を振り回しているらしい。2人は1階の部屋にいた。駆け付けた柳岡たちが夫の説得をしていたその時、「緑1交番だ」と川藤が突然叫んだ。初めての捕り物でパニックになる新人は多い。だがその言葉に夫が豹変し襲い掛かってくる。柳岡の耳に銃声が聞こえた。

夫は倒れ、刃物で首筋を切り付けられた川藤の血は壁に飛び散る。川藤は殉職した。救急車の到着を待つあいだ、「こんなはずじゃなかった」「うまくいったのに」と繰り返す川藤の言葉を柳岡は聞いていた。

葬儀の席で川藤の兄と話をした。川藤は4発撃ち1発が心臓に命中していた。残り1発はなぜか庭に埋まっていた。兄は川藤のことを警官になるような男ではなかったと評した。事件の前、川藤は兄に「とんでもないことになった」とメールをしていたらしい。兄曰く、昔から川藤が「とんでもないことになった」と言って来る時は、ろくでもないことをし尻ぬぐいを頼む時だと決まっていたらしい。ダメな男だったと兄は言う。

柳岡には、庭に埋まっていた銃弾の謎が分かった。

 

自分の犯したとんでもないミスを誤魔化すため、川藤は「拳銃を撃つ」という場面を作り出しました。美代子の夫の事件です。うまく誤魔化せたと思ったのも一瞬で、川藤自身も命を落とすことになり、今わの際で「うまくいったのに」とこぼしたのでした。

死人宿

ことなかれ主義の「私」の元を去っていった恋人・佐和子の居所が分かった。叔父が経営している「死人宿」と呼ばれている小さな温泉宿で働いていた。この温泉地には火山ガスがたまりやすい窪みがあり、毎年何人かが命を落としていた。

自分は変わったと言う私に対し、佐和子はある頼みごとをしてきた。露天風呂の掃除にいったところ、遺書の落とし物を見つけたのだという。警察に通報しても死人が出ないと動いてくれないのだという。私以外の宿泊客は若い男、髪が長い女、短髪を紫に染めた女の3人だった。佐和子の手引きで、私は3人の部屋を順番に訪れることになった。

「躑躅」の間の髪の長い女の部屋のテーブルには便箋があったがペンは見当たらなかった。

「木蓮」の間の男の部屋には浴衣が脱ぎ散らかされ、スポーツバッグがほとんどさかさまの状態で部屋の隅に投げ出されていた。

「胡桃」の間の紫色の髪の女性はきちんと化粧を施し、部屋には白い浴衣がかけてあり、テーブルの上には一冊の本があった。タイトルまでは読み取れなかった。ただ手首に幾筋もの傷跡があったのは見えた。

結局遺書の持ち主は分からなかった。常識で考えてこの遺書は狂言ではないかと結論づけようとする私に、佐和子はやはり変わっていない、頼ったのが間違いだったと言い残し部屋を出ていった。

部屋で考え続けた私はあることに気が付いた。遺書には名前と日付がなかった。つまり遺書は拾われた1枚だけではない。捨てられた残りを川で見つけると、木蓮の間の男の名前が書いてあった。彼はなぜか目に涙をためて謝罪し、翌朝お礼を言って帰っていった。

だが、別の客が遺書を残して死んでいた。私は、彼女の部屋に白い浴衣がかかっていたことを思い出した。あれは死装束だったのだ。

 

落とした遺書を見つけたことで助かる命がある一方、見逃したこと(気づかなかったこと)で死んでしまった命もある。何とも無常を感じる話でした。

柘榴

祖母の美貌を継いださおりは、自他ともに認める容姿を武器に、大学のゼミで圧倒的な人気を誇っていた佐原鳴海の恋人になり婚約した。だが周囲の人間を魅了し心棒者にしてしまう鳴海を、父親だけが反対した。妊娠していることを理由に結婚に踏み切り、さおりは夕子、月子という美人の娘に恵まれた。

鳴海は夫として良い人間ではなかった。人当たりの良い性格は変わらないままだが、定職につかなかった。次第に家に帰る日が減り、あやしげな副業をしたり女たちに貢がせていることを知りつつも、さおりは娘を守るため必死に働いた。

夕子が中学3年生になった年、ようやくさおりは鳴海と離婚することを決めた。鳴海も離婚に同意したが、2人の娘の親権は主張した。さおりは今までの鳴海の行状から、親権は自分にあると信じて協議を重ねてきた。

だが味方だと思っていた夕子と月子の裏切りにより、さおりは児童虐待の疑いをかけられ、親権は鳴海のものになってしまった。

夕子は父も母も大好きだった。だから母を陥れることに気は咎めたものの、生活破綻者の父と暮らすためには仕方のない事だった。父である鳴海には夕子以外の人間は必要ないのだから。

 

トロフィーワイフという言葉がありますが、それの逆バージョンでした。実の母親でさえ邪魔者として扱った夕子は、妹の月子がライバルになったと見なしたら、妹にも魔の手を伸ばすのかもしれません。すでにその片鱗は見えていました。

幼い頃の夕子が父親と柘榴の実を食べたというエピソードが、冥界のハデスに騙されて柘榴を食べたせいで元の世界に帰れなくなり妻にされたベルセポネの神話とリンクしていました。

万灯

伊丹は今裁かれようとしていた。井桁商事に入社して以来ずっと海外で天然ガスの発掘と供給に携わってきた。今はバングラデシュの奥地にある天然ガスの発掘の拠点として、ボイジャック村の説得をしていたが、マタボールの反対で事業は頓挫していた。

マタボールは村の方針を決める幹部たちの集まりで、そのうちの一人、アラムが頑として交渉に応じない。困り果てていたところに、ボイジャック村から呼び出しの手紙を受け取った。指示通り単身乗り込むと、そこには同じく天然ガスに目を付けたフランスの会社から、森下という男が派遣されてきていた。2人を手紙で召喚したのはアラム以外のマタボールだった。改めてアラムに拒絶をされ、何の収穫もなく村を出ようとした2人に、他のマタボールが声をかけてきた。

何もないボイジャック村が開発の拠点になると、水道施設や医者の派遣、物資などで暮らしが豊かに変わる。マタボールたちはアラムの殺害を条件に開発への協力を約束した。伊丹と森下はマタボールたちと共謀してアラムを車で跳ねた。2人は会社のために異国の地で殺人の共犯者となったのだ。

森下が会社を辞め、拠点としていたインドから帰国したらしい。彼が自首でもしたら一巻の終わりだった。伊丹は森下の殺害も視野に入れ、森下がいる日本へと帰国した。だが連日の疲れからか飛行機内で高熱を出し、到着した成田で検疫を受けた。解熱剤の効果か熱は引き、検査の結果は連絡してくれるという。

ホテルに宿泊していた森下に会うと、彼はアラムの殺害をひどく後悔していた。もう何度も吐いているという。自首をして償いたい、ボイジャック村でのことを世界に向けて訴えるのだという森下を、伊丹は殺害した。遺体は候補地に埋める。伊丹と森下の接点を知っているものはなく、海外を放浪していた人間が行方不明になったところで、伊丹にいきつくわけはなかった。

伊丹がホテルに戻ると、検疫から異常なしという報告が入っていた。だがその日の夜、コレラ感染者の報がテレビに流れた。最初の感染者によると、感染源はインドから帰国した男性とみられ、現在行方をさがしているところだという。伊丹には感染源がどこにいるか知っていた。房総半島の山中に埋まっている。森下の吐き気は、罪悪感のストレスではなく、コレラによるものだったのだ。伊丹も感染したかもしれない。

伊丹は今、裁かれようとしていた。

 

検疫で異常なしと出たのにコレラを発症してしまったら、感染源と接触していたことがバレるうえ、芋づるで殺人も発覚します。また当然命の危険にも晒されます。絶体絶命ですね。

天網恢恢疎にして漏らさずということでしょうか。

関守

都市伝説系の記事を依頼され、先輩からもらったネタの取材で「死を呼ぶ峠」へと向かった俺は、目的のドライブインへと入った。この4年間で峠から崖下へと落ちて死亡した事故が4件、死者は5人。老女一人で経営している古ぼけたドライブインは峠道の近くにあり、俺は老婆の話をきくためにやってきた。

老婆は4つの事故を知っていた。全員がドライブインの客だったのだ。

町の目玉となる観光資源を探していた県の職員、苛立つとすぐに物にあたる田沢という男と連れの香奈、大学の史学科に通いフィールドワークのためにやってきた学生……ほかに客の来ないドライブインで3件聞いたところで、老婆はお茶を淹れに行くと席を立った。追加のコーヒーを頼み、俺も煙草を吸うため外に出た。目についたパンフレットを手に取ると、桂谷の関所だったことが紹介されていた。ただ何もない峠道で、連続して死亡事故が起きたことにこじつけるには弱い。その時、片隅に苔むした古い石仏を見つけた。道祖神らしい。

4つ目の事故の被害者は、老婆の娘の旦那だったという男だった。老婆は昔語りを始めた。大切に育てた娘がろくでもない男に捕まり、自分に助けを求めてドライブインに逃げてきたという話だ。

その話を聞くうち、俺の意識はだんだんとおかしくなっていく。老婆は割れた道祖神が接着剤でくっつけられていたのに気づかなかったかと問う。娘は追いかけてきた旦那を石仏で殴って殺してしまった。死体の後始末をしたのが老婆だった。

体がいう事をきかない。コーヒーに導眠剤を入れられていたと気づいても、後の祭りだった。

 

老婆は娘を守るため、凶器となった道祖神に興味を持つ人間を見極める関所の役割を果たしていました。男は5件目の怪異となるようです。

満願

弁護士の藤井は、学生時代に世話になった下宿・鵜川家の女主人、妙子の弁護を引き受けていた。殺人罪に問われた妙子は、正当防衛で争う予定で控訴するつもりだった藤井に対し、控訴を取り下げ1審の判決通り8年の刑に服した。

妙子の妻、鵜川重治は表具屋を営んでいたが評判は悪かった。先代からの信頼をみるみる失い経営は傾いている。藤井の下宿を不満に思っている重治はともかく、生活が順調でないにも関わらず、妙子は何かと藤井を応援してくれた。ある日、その理由をスイカをご馳走になりながら知った。

妙子の実家の祖先は、昔私塾を開いて身分の低い武士たちの出世を支えた功績で、島津のお殿様から掛け軸を賜ったのだと言う。その掛け軸は妙子の家宝として鵜川家に持ってきていた。掛け軸は年に何度か虫干しを行っており、ちょうどスイカをご馳走になった日の床の間に飾られていた。妙子は祖先の行いに倣い、苦学生の藤井を支えることが使命だと考えていた。

矢場英司という金貸業が殺害され、空き地で見つかった事件の殺人、死体遺棄の容疑で妙子が逮捕された。凶器の包丁は妙子が使っていた物であり、鵜川家の座布団や掛け軸に飛び散った血痕から、殺害現場は鵜川家の客間と見られた。検察は借金の返済を逃れるために矢場を殺害したと主張し、藤井は妙子が家宝の掛け軸に血が付着するような場所で殺人を犯すはずがないため、借金をカタに関係を強要する矢場から自分を守るための正当防衛だと主張した。

力不足で正当防衛は認められなかったものの、検察の主張する計画性も判決では採用されていなかった。

1審は懲役8年、2審の準備を進めていた藤井だったが、夫の病死を聞いた妙子は控訴を取り下げ実刑が確定した。夫が負っていた借金は、夫の死亡保険金で返すことができたらしい。

8年後、出所した妙子から連絡が入った。これから挨拶に伺うという。藤井にはずっと考え続けてきたことがあった。なぜ夫の死を聞いたあと、妙子は控訴を取り下げたのか。

殺人も含め、全てはあの掛け軸のためではなかったのか。

 

掛け軸への血痕は、表装の部分にのみ飛んでいました。つまり妙子がもっとも大事にしていた掛け軸の絵(禅画)自体は無傷です。夫が借金を負って病気で倒れて以降、妙子は常に掛け軸を守ることを考えていた筈です。

そのために最適な方法は何なのか、矢場殺しも控訴取り下げもすべてが彼女の手の内にあったようです。

 

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人の心の闇の部分を浮き彫りにした短編集でした。

読むのはシリーズものの方が安心できて好きですが、こういうごく普通の人の中に潜んでいる悪意というのも、なかなか重くて救いも少なめで良いです。